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東京地方裁判所 平成6年(ワ)19584号 判決 1997年6月24日

第一事件原告、第二事件及び第三事件被告

甲野太郎

右訴訟代理人弁護士

長谷川修

第一事件被告、第二事件及び第三事件原告

乙山良子

乙川一郎

乙田二郎

乙村タヅ

乙野秀子

右五名訴訟代理人弁護士

市川直介

龍村全

主文

一  第一事件について

原告の請求をいずれも棄却する。

二  第二事件について

小林節(明治四四年五月三〇日生。平成五年一月一三日死亡。本籍・東京都世田谷区下馬一丁目一九番)作成名義に係る、別紙物件目録一及び二記載の各不動産につき被告を相続人とする旨の平成四年一二月三〇日付け自筆証書遺言は、無効であることを確認する。

三  第三事件について

1  被告は原告らに対し、別紙物件目録二記載の建物を明け渡せ。

2  被告は原告らに対し、金一三〇万二〇〇〇円及び平成六年一一月一日から別紙物件目録二記載の建物明渡し済みまで一か月金六万二〇〇〇円の割合による金員を支払え。

四  訴訟費用は、第一事件原告・第二事件及び第三事件被告の負担とする。

五  この判決の第三項の1及び2は、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  請求の趣旨

一  第一事件

被告らは原告に対し、別紙物件目録一記載の土地についてなされた東京法務局世田谷出張所平成六年二月一四日受付第五五九一号及び同目録二記載の建物についてなされた同法務局同出張所同日受付第五五九二号の各所有権(被告ら五名の共有)移転登記の抹消登記手続きせよ。

二  第二事件及び第三事件

主文第二項及び第三項と同旨

第二  事案の概要(以下、第一事件原告・第二事件及び第三事件被告を「原告」といい、第一事件被告・第二事件及び第三事件原告各自を「被告」という)

(第一事件)

一  請求原因

1 別紙物件目録一及び二記載の各不動産(以下「本件不動産」という)は、もと小林節の所有であったが、同人は平成五年一月一三日死亡した。

2 原告は、右同日、小林節から本件不動産の遺贈を受けた。

3 本件不動産については、小林節の法定相続人である被告ら(被告乙山良子、同乙川一郎及び同乙田二郎は小林節の兄である亡乙田敬一の代襲相続人、被告乙村タヅは、小林節の姉、被告乙野秀子は小林節の妹である亡丙野敏子の代襲相続人である)を権利者とする請求の趣旨第一項記載の各所有権移転登記がなされている。

4 よって、原告は被告らに対し、本件不動産の所有権に基づき、請求の趣旨第一項記載の判決を求める。

二  請求原因に対する認否

1 請求原因1の事実は認める。

2 同2の事実は否認する。

3 同3の事実は認める。

(第二事件)

一  請求原因

1 被告らは、小林節の法定相続人である。

2 小林節は本件不動産を所有していたが、同人の死亡により、被告らは相続登記を経由した。

3 原告は、本件不動産につき原告を相続人とする旨の記載のある小林節作成名義の平成四年一二月三〇日付け自筆証書遺言(甲第四号証。以下「本件遺言書」という)により、本件不動産を小林節から遺贈されたと主張し、本件不動産について自己が所有者であると主張している。

4 しかし、本件遺言書の筆跡は、小林節のものではなく、偽造されたものである。また、本件遺言書は、カーボン用紙により複写する方式で作成されている写しであるにすぎず、自筆によるものではないから、遺言としての効力を有しない。さらに、本件遺言書中の「甲野太郎を相続人トスル」との記載は、被相続人が相続人を指定したものであり、遺言の内容として民法上認められないものである。

5 よって、本件遺言書は無効なものであるから、その旨の確認を求める。

二  請求原因に対する認否及び原告の主張

1 請求原因1ないし3の事実は認める。

2 同4の事実は否認する。本件遺言書は、小林節によって作成された有効なものである。

(第三事件)

一  請求原因

1 小林節は原告に対し、平成三年一月二八日、別紙物件目録二記載の建物(以下「本件店舗」という)を、賃料一か月六万二〇〇〇円、毎月末日までに翌月分前払いとの約定で賃貸した。

2 小林節は平成五年一月一三日死亡し、被告らがその相続人となった。

3 原告は、本件店舗を含む本件不動産を小林節から遺贈されたとして、平成五年一月末日に支払うべき同年二月分の賃料及びその後の賃料を支払っていない。

4 そこで、被告らは原告に対し、平成六年六月二五日到達の内容証明郵便により、右賃料の不払い及びその理由として原告が主張している内容から、信頼関係が破壊されたとして、本件店舗の賃貸借契約を解除する旨の意思表示をした。

5 よって、被告らは原告に対し、本件店舗の明渡しと、平成五年二月一日から平成六年一〇月末日までの賃料及び賃料相当損害金として合計一三〇万二〇〇〇円並びに平成六年一一月一日から本件店舗明渡し済みまでの賃料相当損害金として一か月六万二〇〇〇円の割合による金員の各支払を求める。

二  請求原因に対する認否及び原告の主張

1 請求原因1の事実は認める。ただし、原告は本件店舗を昭和四五年以降、小林節の夫小林利雄の時代から賃借している。

2 同2ないし4の事実は認める。

3 原告は、平成五年一月一三日、小林節から本件店舗を含む本件不動産の遺贈を受け、以後、本件店舗を所有者として占有しているものであるから、原告は被告らに対し、請求されるような賃料ないし賃料相当損害金の支払義務を負っていない。

第三  当裁判所の判断

一  本件の争点

第一事件から第三事件までの事件についての争点は、本件遺言書が小林節によって真正に作成されたものといえるかどうかである。

被告らは、このほか、本件遺言書は、カーボン用紙により複写する方式で作成されている写しであるにすぎず、自筆によるものではないから、遺言としての効力を有しないとの主張をし、このことも争点として提示するが、右争点に関しては、平成五年一〇月一九日最高裁(三小)判決(判例時報一四七七号五二頁)により、カーボン複写の方式により作成された遺言書も自筆遺言証書と認めて差し支えない旨の判断がなされているので、この点は、既に実質的争点から外れているものといえる。また、被告らは、本件遺言書中の「甲野太郎を相続人トスル」との記載は、被相続人が相続人を指定したものであり、遺言の内容として民法上認められないものであると主張するが、本件遺言書には被告ら主張のような文言はあるものの、全体としてみると、本件遺言書は、本件不動産を原告に遺贈するとの趣旨で作成されたものと認められる。

二  本件遺言書の特徴

1  本件遺言書は、カーボン複写の方式により作成されたものであり、その元となった書面は存在しない。カーボン複写による遺言書を自筆証書遺言の「自筆」の要件を満たすものとして認めてよいかどうかについては、積極、消極の議論があったところであるが、前記最高裁判決が積極説を採ることを明らかにしたことにより、実務上そのような取扱いをすべきことに確定した。しかし、法律の解釈として、そのような見解が示されたとはいえ、遺言書がカーボン複写の方式により作成されたものである場合には、なお、次のような問題がおる。

カーボン複写により書面が作成された場合、書面に記載者が直接記載する場合に比べて、偽造の可能性が高まるものといえる。特に、第三者が記載者の印鑑の押捺された用紙と記載者作成に係る一定数の文章を入手しているような場合には、それらの文書を利用して、第三者が記載したい内容に沿った文字を選択し、これに基づいて下書きを作成し、これをカーボン紙の上に載せて筆記具で上からなぞる等の方法により、当該記載者の筆跡に似た筆跡の書面を完成させることが可能となる。その場合、筆記具の種類や記載部分の重なりによる筆順が判明せず、また、カーボン複写の場合には特別な筆圧で記載されることから、筆圧の強弱も判明しない。運筆についても、カーボン複写の場合には、複数枚に同時に記載することを意識した運筆となるため、書面に直接記載したものとの対比が困難となる。その結果、これらの相乗作用として、本人の筆跡と当該カーボン複写された筆跡との対比が著しく困難となる。したがって、カーボン複写の方式により遺言書が作成された場合には、筆記具を用いて書面に直接記載された場合に比較して、筆跡が模写されたものであるかどうかの判別が著しく困難となる。

2  本件遺言書には、カーボン複写の方式により作成されたことに加えて、次のような問題がある。

本件遺言書においては、通常は文書の末尾になされるべき署名が、住所の記載の前の、しかも、便箋中の罫線上に記載されている。本書が「遺言書」との標題のもとに作成されていることからすると、記載者も、署名が最も重要なものであるとの認識を有していたと考えられるのに、このような箇所に署名がなされているのは、自然とはいえない。しかも、右署名のすぐ下に押捺されるのが通常と思われる「小林」の印が、罫線上ではなく、署名の位置から外れた箇所に押捺されているのも自然なことではない。このように署名から離れた位置に押印される例は、押印すべき位置に「印」と表示されるなど、押印の位置があらかじめ定められている場合のほかには、一般的ではない。このような位置に押印される例としては、あらかじめ押印がなされた用紙の中に、後に署名部分を書き込んだために、押印の位置が署名の位置からずれてしまうというような場合が多い。

何ら訂正箇所のない遺言書に捨て印が押捺されていることも、本件遺言書が真正なものであることに疑問を抱かせる一つの要因である。真正に成立したことについて当事者間に争いのない甲第六ないし第九号証の貸室賃貸借契約書によれば、小林節は、記載を訂正した箇所にのみ訂正印を押しており、捨て印を押すことが小林節の文章作成上の癖とはいえないことが明らかである。この事実に照らすと、訂正箇所のない完成した文書である本件遺言書に訂正印が押されていることは、極めて不自然である。

右押印の位置及び捨て印の存在を合わせ考えると、本件遺言書と題する書面に小林節の印が押された時点においては、この書面には文字の記載がされておらず、後に遺言書とされることは予定されていなかったのではないか、との疑問が生じる。

3  一枚作れば足りる遺言書をカーボン複写の方式で作成することは、それ自体が極めて異例なことである。しかも、その方式は、右1記載のとおり、筆記具で書面に直接記載された場合に比較して、偽造が判明しにくいものであることを考えると、遺言書がカーボン複写の方式により作成されている場合において、それが真正に作成されたものであるかどうかについて争いがあるときは、筆記具で書面に直接記載された場合に比べ、それが真正に作成されたものであるかどうかについて、より慎重な認定を必要とする。本件遺言書については、右2認定のように真正な成立に疑問を抱かせる事情があることを考えると、一層慎重な認定が必要とされるものといえる。

三  本件遺言書の筆跡の特色

本件遺言書は、カーボン複写により作成されていることに加え、次のような筆跡上の特色がある。

1  「遺」の文字が「〓」と記載されており、第三画が欠画の誤字となっている。このような誤記は、通常見かけることがなく、極めて珍しいものといえる。

2  「馬」の文字が「〓」と記載されており、第五画の次に一画多い誤字となっている。このような誤記は、通常見かけることがなく、極めて珍しいものといえる。

3  「所」の文字が「〓」と記載されている。これは旧字体であり、このような記載がされることは極めてまれとまではいえないが、通常の記載方法とは異なっているものといえる。

4  住所の表示の中に、本文中の「世田ケ谷」との表示(二箇所)と、作成名義人欄脇の「世田谷」との表示の二種類がある。住所の表示は、一般に、繰り返し記載されるものであることから、同一時期に記載された場合には同一の表示になることが一般的である。同一時期に記載される場合であっても、記載者が何らかの目的で複数の表記をすることもあるうるが、同一の書面の一連の文章中において二種類の表記がされることは極めてまれである。本件遺言書のように、わずか一〇行足らずの短い文章中に二種類の住所の表示がなされることは、極めて珍しいものといえる。

小林節の筆跡であることについて当事者間に争いのない賃貸借契約書(甲第六ないし第九号証)中の同人の住所の記載をみてみると、夫である小林利雄が死亡した昭和五六年一二月二〇日の後で、かつ、小林節と原告との間の最初の本件店舗に関する賃貸借契約書であると推認される昭和五七年一月三一日付けの賃貸借契約書(甲第六号証)中の住所の表示は「世田ケ谷」となっている。この場合には、同じく小林節が記載したと認められる原告の住所の表示も「世田ケ谷」となっている。それ以外の賃貸借契約書(甲第七ないし第九号証)は、いずれも昭和六〇年以降に作成されたものであるが、それらの中の住所の表示は「世田谷」となっており、「世田ケ谷」の表示は全くみられない。

同一時期に作成されたものであるにもかかわらず、二様の表記がされている文書はなく、まして、本件遺言書のように同一文書内に二種類の表記が混在しているものはない。

四  原告の筆跡

1  原告は、自筆の陳述書を提出している(甲第一四号証)が、右陳述書の中に使用されている「遺」の文字は、複数回使用されているいずれについても、本件遺言書と同じく「〓」と記載されている(七丁裏の末尾から二行目、八丁表の一行目、九丁表の末尾から二行目)。

2  原告の右陳述書に使用されている「所」の文字は、複数回使用されているいずれについても、本件遺言書と同じく「〓」と記載されている(一丁表の九行目、四丁裏の五行目、五丁表の一三行目)。

五  筆跡鑑定の結果

1  本件遺言書に関する筆跡鑑定書は、四名の筆跡鑑定者によって、四通提出されている。そのうちの一通は、当裁判所が選任した鑑定人苅部慶一によるものであり(以下、この鑑定書を「苅部鑑定」という)、一通が原告の依頼に基づき天野瑞明によって作成されたもの(甲第一七号証。以下、この鑑定を「天野鑑定」という)、二通が被告らの依頼に基づいて作成されたもので、うち一通は田北勲によって作成されたもの(乙第一号証の一。以下、この鑑定書を「田北鑑定」という)、他の一通は吉田公一によって作成されたものである(乙第二号証の一。以下、この鑑定書を「吉田鑑定」という)。

2  これらの鑑定書のうち、天野鑑定と田北鑑定は、当裁判所において、当事者間で筆跡の鑑定のための協議が行われる前に、当事者の依頼に基づいて作成されたものであり、天野鑑定は、本件遺言書の筆跡と小林節の記載部分がある賃貸借契約書等の筆跡が同一であるとし、田北鑑定は、本件遺言書の筆跡と小林節の記載部分がある賃貸借契約書等との筆跡が異なっているとする。しかし、両鑑定とも、鑑定書作成時において、原告の筆跡が考慮されておらず、したがって、これらの鑑定は、後に行われた苅部鑑定及び吉田鑑定に比べ、原告による筆跡の模写があったかどうかという観点からの問題点の検討を欠いており、証拠価値が低い。

また、両鑑定の鑑定内容を個別に見てみると、天野鑑定は、結論には結びついていないものの、本件遺言書を記載する際の筆圧について、およそ一三〇グラム程度と推認している(九頁)。しかし、本件遺言書はカーボン複写の方法により作成されたものであり、カーボン紙の上にどのような紙質の紙を何枚重ね、どのような筆記具で記載したのかの条件が全く不明であるにもかかわらず、このような推定をするのは早計にすぎる。「世田谷」及び「世田ケ谷」の表記についても、天野鑑定は、同一時期に作成された短い文章中の自己の住所の表記について二種類の記載があるという特異性について、偽造の可能性という観点からの検討がまったくされておらず、右表記から直ちに、その記載者が「時として片仮名のケの字を挿入したりしなかったりする慣性のある筆者である」(二八頁)と断定しており、偽造の可能性について検討する注意深さに欠ける。一方、田北鑑定は、結論を得るに至った過程の記載が具体性を欠き、本件のように異なった鑑定結果が出ている場合に、当該鑑定書について信頼性の検証を行うことができず、証拠価値がほとんどないに等しい。

3  苅部鑑定には、筆跡の鑑定人として注目してしかるべきと思われる本件遺言書中の前記三の1ないし4の特徴について注目した形跡がない。

特に、「遺」の文字を「〓」と書く特徴については、単に遺言書の記載者の書字能力が中程度以下であるとするのみで、鑑定資料として交付された原告の陳述書に複数の同じ誤記があること(前記四の1)について、何ら検討していない。「所」の文字を「〓」と書く特徴についても、原告の陳述書に複数の同じ誤記があること(前記四の2)について、何ら検討していない。前者は珍しい誤記であるだけに、この点について全く配慮していない苅部鑑定は、筆跡の模倣についての検討に注意深さを欠いているといわざるをえない。

4  吉田鑑定は、本件遺言書における前記三の1ないし4の特徴のすべてについて、注意深い検討を加えている。そのうち、2及び4の特徴については、本件鑑定資料からは、筆跡の特定につながる材料がえられないとして、結論を導く対象外としているが、その検討過程は慎重であり、信頼するに足りる。鑑定資料がコピーされたものであることその他の鑑定上の諸条件についても慎重な配慮がなされている。なお、前記三の1ないし4の特徴の検討をする場合には、鑑定資料がフォトコピーであることによる障害はほとんどないといってよい。

吉田鑑定の結果によれば、本件遺言書の筆跡と原告本人の陳述書の筆跡の筆者は同一であると推定されるとされている。

六  原告が本件遺言書の存在を公にした時期

1  原告はその本人尋問において、本件遺言書の存在を知ったのは、平成五年一月末であり、それを見つけてびっくりしたと述べている(平成九年二月二五日の尋問の速記録一七頁以下)。したがって、原告が本件遺言書の存在に気づいたときの印象は鮮明で、記憶障害が伴う病気にかかり、又は事故に遭うなどの特別な事情もないので、原告が本件遺言書を発見した時期及び発見した時の状態について、その後原告の記憶が不鮮明になることはないと考えられる。

2  原告は、平成五年一一月一一日に被告乙田と会っている(同被告及び原告各本人尋問の結果)。その際、同被告は原告に対し、本件店舗を売却したいのでここから立ち退いてもらいたい旨の話をしたが、原告から即答が得られなかったので、本件店舗を立ち退くのか、ここで営業を続けるのかについて、年内に回答してくれと申し渡している(同被告本人尋問の速記録二〇頁以下)。この申し入れに対し、原告は特に反論をしていない上、本件遺言書の存在について全く話をしていない(原告の平成九年二月二五日の尋問の速記録二二頁)。本件遺言書が既に原告の手中にあり、発見の時期及び発見した時の状態に関する記憶が右1記載のとおり鮮明である場合、小林節の相続人である被告乙田から右のような質問を受けていながら本件遺言書の存在に触れないのは、極めて不可解である。

3  本件遺言書については、平成六年三月二八日、東京家庭裁判所において、関係者出頭の上、検認の手続きがなされている(乙第一〇号証)が、その際、原告は、裁判官の質問に答えて、このように申立てが遅れたのは、一年間は遺言者の喪に服そうと思ったためであると述べている。したがって、原告は、死者を敬う殊勝な心掛けをもっていたものといえる。

ところで、小林節が死亡したのは、平成五年一月一三日である。そうすると、原告は、平成六年一月一三日に喪が明けるのを待って、右検認の申立てをすることになるのが当然の帰結である。ところが、原告が右検認の申立てをしたのは、平成五年一二月二四日であり、右申立ては原告代理人によってなされているから、原告の右検認のための代理人への依頼は、一二月中旬までになされているものと考えられる(原告は、右依頼が一一月中旬以降だったような気がすると述べている・平成九年二月二五日の原告本人尋問の速記録一六頁)。

4  右2及び3認定の事実によれば、原告は、平成五年一月末に本件遺言書を発見しながら、一一月一一日に被告乙田から本件店舗の明渡しの意思について打診された際にも、「一年間の喪が明けるまでは」ということで、本件不動産に関する本件遺言書の存在を秘匿していたにもかかわらず、その直後に遺言書の検認について弁護士に相談をし、一年間の喪が明ける前である平成五年一二月二四日、東京家庭裁判所に検認の申立てをしたことになる。これは、極めて不可解である。

5  原告は、平成九年四月一一日付け準備書面において、「節の一周忌が済むまでは、財産のことなど口にするようなはしたないことはすまいと考えていたが、平成五年一一月に被告乙田から本件店舗明渡しの要求を受け、もし原告がこの要求に応じないときは法的手段をとることになるかもしれないといわれ、非常に不安になって、小林節の一周忌前であったが、意を決して、弁護士に相談した」と主張する(平成九年四月一一日付け原告準備書面第二の三)。しかし、まず考えるべきは、原告は本件店舗を小林節から賃借していた者であり、本件遺言書の存在を明かさない場合には、原告は小林節の相続人に対し、本件店舗の賃料の支払をしなけばならない立場となる者であるということである。もし原告が、右主張のように財産に関して潔癖な考えの持ち主であるならば、一年もの間、理由なく賃料の不払を続ける外形を保つこととなる事態について、どのように考えていたのか、理解に苦しむところである。次に、原告の右主張によれば、被告乙田は本件遺言書の存在に気付かず、誤解により原告に対して本件店舗の明渡しを要求していたものであり、原告の目から見てそのことが明らかであったはずである。それにもかかわらず、原告の被告乙田の要求に対して、なぜ直ちに弁護士に相談しようと考えるほど不安を感じたのか、理解に苦しむところである。その前に、同被告に対し、本件遺言書の存在を知らせるのが常識であろう。

原告は、平成九年二月二五日に行われた原告本人尋問において、右明渡しの要求に対して被告乙田にどのように答えたかについて聞かれ、覚えていない旨答えている。また、右本人尋問において、本件遺言書の存在を被告乙田に伏せておく必要性は特になかったと述べている(速記録二二頁)。このような状況にあった原告が、その後、被告乙田に本件遺言書の存在を話すこともないまま、なぜ「意を決して」弁護士に相談しなければならなかったのか、理解に苦しむ。

七  遺言書が入っていた封筒

1  原告は本件遺言書が白い封筒に入っていた旨及びそれらがB5版かそれよりもうちょっと大きいような茶色の普通の封筒に入っていた旨及びこれらの封筒は原告代理人である長谷川弁護士に渡した旨述べている(平成八年五月二八日の尋問の速記録六四頁以下)。

2  しかし、本件遺言書の検認の申立ての際には、右のいずれの封筒も裁判所に提出されていない。遺言書の検認の申立てを受け付ける際には、遺言書が何に入っていたかは重要な事実として確認され、封筒がある場合には提出が促されることが多いが、本件遺言書の検認の申立ての際には、封筒が提出されていない。後に行われた検認の手続の際にも、遺言書が何に入っていたかについて裁判官から質問がなされているが、その日にも封筒の提出はなく、検認調書には「封筒 なし」と記載されている。なお、検認調書には、本件遺言書が白い封筒に入っていたことは述べられているが、茶色の封筒については触れられていない。

八  本件遺言書の保管場所

1  原告はその本人尋問において、本件遺言書の存在を知ったのは、平成五年一月末であり、それを見つけてびっくりし、貸金庫にしまっておいたと述べている(平成九年二月二五日の尋問の速記録一七頁以下)。ところが、原告は、その直後の尋問において、貸金庫というのは間違いで、自分が持っていた金庫であると供述を訂正した(同二七頁)。

2  本件遺言書の保管場所は、本件争点に関する重要な事項であり、原告がこれについて思い違いをするとは考えにくい。本件遺言書を貸金庫に保管する場合、本件遺言書の重要性を認識し、これを持ち出して銀行その他の貸金庫所在場所に赴くわけであるから、その事実は特別な出来事として記憶に残るものであり、このことと本件遺言書を自宅内の金庫にしまっておいたこととは明瞭に区別される事柄である。その意味で、貸金庫に保管していたことと自宅の金庫に保管していたことの思い違いは、自宅内のどの場所に保管していたのかという点についての思い違いとは、性質的に異なるといってよい。思い違いをした旨の原告の右供述は信用することができない。

原告は、右供述訂正の理由につき「よく考えてみると、私、自分自身が金庫を持ってますので、そこにしまってました」と述べているが、このような記憶は、よく考えた結果正しくなるものではない。供述の訂正は、尋問において記憶が喚起された後というわけではなく、尋問途中で唐突に行われている。

3  自宅の金庫に保管していたという場合には、保管の証拠は本人の供述のみとなる。これに対して、銀行の貸金庫に保管していたという場合には、利用の記録が残る可能性がある。原告の供述内容については、平成八年三月一九日及び同年五月二八日の供述とも、被告ら代理人によって供述内容についての調査がなされ、その調査結果に基づく尋問がなされて原告の供述が虚偽であることが判明したこと(後記九の1ないし3参照)も合わせ考えると、平成九年二月二五日の供述の際の唐突な供述変更は、裏付け調査でつじつまが合わなくなることを慮ってのことである可能性が高い。

九  原告は行っていた事業の内容及び住所変更に関する供述

1  原告はその本人尋問において、理髪業を行い、喫茶店営業を一時行ったほかには、何らの業務に携わったこともないこと、特に、飲食店経営に携わったことは一切なく、そのことは断言できる旨供述した(平成八年五月二八日の尋問の速記録九頁以下)。ところが、被告ら代理人が資料を示して尋問をすると、原告はパブ及びスナックを経営していたことを認めるに至った。また、エステティックサロンを経営していたこと及び不動産仲介を行っていたことも認めるに至った。秘匿しなければならないような違法な業務を行っていたというのならば別であるが、これらの業務に携わったことをことさら秘匿する原告の供述は、異常なものといえる。

2  原告はその本人尋問において、これらの事業が赤字続きだったということはない旨供述した(平成八年五月二八日の尋問の速記録二〇頁)。ところが、その後、被告ら代理人から具体的に質問されると、平成三年度から平成五年度までは約一〇〇〇万円の赤字であり、平成六年度は約八〇〇万円、平成七年度は四百数十万円の赤字であったこと及び赤字続きというべき状態であったことを認めるに至った。この供述からも、原告には自己に不利な事実を隠そうとする姿勢が見て取れる。

原告は、平成九年二月二〇日付け陳述書(甲第九七号証)を提出し、平成五年三月一七日に柿の木坂店が火災に遭い八か月間営業ができなかったこと及び本件訴訟に費用がかかったことを右赤字の理由として掲げる(五頁)。しかし、それでは平成三年度から平成四年度までの間も赤字であったことの説明になっていない上、そもそも当裁判所の法廷において、赤字に関する供述を回避しようとする供述をした理由についての説明になっていない。

3  原告はその本人尋問において、平成三年九月一〇日に住所を目黒区柿の木坂に移転したのは、銀行借入れに必要だったためである旨を供述し、更に、その説明として、理容業を柿の木坂で営んでおり、住民票及び印鑑証明書の住所がそこにないと融資をしにくいと東京相和銀行野沢支店の前田という担当者からいわれた旨供述した(平成八年五月二八日の尋問の速記録四四頁以下)。ところが、その後被告ら代理人の申請により同銀行同支店に調査の嘱託をした結果、その時期に同銀行が原告に融資をしたことはなく、同銀行同支店に右住所変更に関係するような内規はないこと及び同銀行は世田谷区下馬の住所のままで、平成三年七月三一日、原告に対する融資の限度額を六八〇〇万円から七一〇〇万円に増額する根抵当権極度額変更登記手続をしていることが明らかとなった(平成八年一一月一五日回答)。この調査結果が明らかになると、原告は、平成九年二月二〇日付け陳述書(甲第九七号証)を提出し、右住所の移転は、新会社の本店登記に伴って行おうとしたものである(一四頁)と弁解するに至ったが、具体的かつ詳細に事実に反する供述をしたことの説明はなされていない。

一〇  本件遺言書の成立の真否

1 本件遺言書は、前記二及び三認定のとおり、カーボン複写の方式によって作成され、特異な筆跡が目立ち、真正な成立に疑問を抱かせる事情もあることから、その成立の真否を判断するにあたっては、慎重な検討を要するものである。苅部鑑定によれば、本件遺言書の筆跡と小林節作成の書面における小林節の筆跡とは同一であるとされているが、その鑑定理由を検討してみると、前記五の3記載のとおり、筆跡の鑑定人として注目してしかるべきと思われる本件遺言書の筆跡上の特異性に注目した形跡がない上、前記四認定のとおり、本件遺言書の筆跡と鑑定資料中の原告の筆跡との共通性について注目した形跡がなく、筆跡の模倣についての注意深さを欠いており、証拠価値が極めて低い。

2 前記六認定の事実によれば、原告が本件遺言書について検認の申立てをした時期は、遺言書を発見してから一一か月以上経過した後であり、それ以前には、原告は小林節の相続人である被告乙田と接触して本件店舗の明渡しに関する照会を受けた際にすら、遺言書が存在することを話しておらず、一方、そのように遺言書の存在を秘匿していた理由について、一年間の服喪期間中は遺言書の存在を公にしないつもりであったという割には、小林節の死亡時から一年を経過する前に本件遺言書の検認の申立てをしている。また、前記七及び八認定のとおり、本件遺言書が保管されていた状態及び本件遺言書の保管場所に関する原告の供述には、事実を述べることを回避しようとする姿勢が認められる。更に、前記九認定の事実によれば、原告は過去に自己が置かれていた状態に関して虚偽の事実を述べて事実を隠蔽しようとする姿勢が認められる。このように、原告の供述には、本件遺言書の成立に関する重要な事実について、虚偽又はつじつまの合わない説明が多い。

3 前記三及び四認定の事実によれば、本件遺言書の筆跡と原告の筆跡との間には、偶然とはいえない共通性がある。

4 前記二ないし五認定のとおり、吉田鑑定は本件遺言書の筆跡上の特徴及び鑑定上の諸条件について慎重な配慮がなされているものと認められるが、吉田鑑定の結果によれば、本件遺言書の筆跡と原告本人の陳述書の筆跡の筆者は同一であると推定されている。

5 以上の認定判断によれば、本件遺言書は小林節によって作成されたものではなく、原告によって偽造されたものと推認される。

一一  結論

以上のとおりであるから、第一事件に関する原告の請求は理由がなく、第二事件及び第三事件に関する被告らの請求はいずれも理由があるものというべきである。よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官園尾隆司 裁判官永井秀明 裁判官井上正範)

別紙物件目録<省略>

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